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2010年6月

ブラック・ジャック

20100628
皆さん、無人で貸し切り状態の新幹線客車に乗った事はあるでしょうか。こんな感じで不気味です。
その中で私は2008年に悲劇的な事件で愛娘を失ったばかりの、ある父親の手記を読んでいました。もうこの世にいない彼女の肖像を描くことを引き受けてしまったためです。
もちろん、その家族のためのものなので、発表の予定はありません。
引き受けるにあたり、父親の話をうかがいましたが、その時気付いたのは、彼は精巧な似絵を望んでいるのではなく、娘さんそのもの、あるいは再会に準じた体験を求めていることでした。
言うまでもなく、死者を生き返らせることは出来ません。写真やVTRなどのあらゆる補足資料の恩恵はあったとしても、前提として実物と接しないと絵画制作が出来ない私には、不向きな依頼に思えました。
でも、その父親は私にまで辿り着き、「こいつなら可能かもしれない」という一縷の望みを持って私に訴えていることは間違いないのです。小さい頃読んで大好きだった、ブラック・ジャックのエピソードを思い出してしまいました。漫画みたいにすっきりいくはずもないと思うけれど。
現在進行中の大作プロジェクトと並行して、この難題に取り組む訳ですが、まずは御遺族全員と会ってみるつもりです。

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ひとりごとのように

20100627
ポレポレ東中野で、追悼 大野一雄企画として、
『大野一雄 ひとりごとのように Butoh Dancer Kazuo Ohno』
再上演が決定したそうです。
公開初日 7/3 〜 7/23
2005年の作品で、かなり肉体的に困難な状態になった時期の一雄先生の葛藤を、正にドキュメンタリーならではの切り口で記録した作品となっています。
初日舞台挨拶には、写真界の重鎮、細江英公さんと大津幸四郎監督がいらっしゃるそうです。
私も依頼を受けて、上演期間中、作品資料を少しだけ提供する予定です。

写真はamidacamera撮影による2004年のフォトセッションの1枚。

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いただいた本など。07

20100627
いただいた本。ありがとうございます。
流れ着いて来た書籍を全て紹介するわけではありませんが、ここひと月のものを簡単に。

右。功術で御一緒した山本タカト氏の『幻色のぞき窓』。初のエッセイ集。緻密なイラストレーションにふさわしく、回想も交えた濃厚なエッセイ。制作する者には楽しく読めました。
中。昨年ちょっとだけ取材協力した柴村仁さんの『セイジャの式日』。美大生の日常が舞台の、かなりせつないお話。丁寧に作り込まれた世界観ですいすい読めます。「プシュケの涙」「ハイドラの告白」と続く3部作のラスト。御苦労様でした。
左。平塚市美術館の企画展の公式カタログとしても販売された、長谷川潾二郎画文集『静かな奇譚』。ここにきて孤高にして幻想性もたたえた写実画家の再評価はいかに。

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迷い込んで来た方達。

20100624

スタジオの大きな窓には、はめ殺しの大窓があって、虫や鳥が迷い込んで来たらもうそこからは出られない。
ちょっとの間留守にすると、窓際にはそんな連中が行き倒れています。
ここ半年で拾ったハチの仲間を並べてみる。どこか似通っているけど、それぞれに完璧で美しいデザイン。
このまま静物画に出来そう。

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チェロの小部屋

新倉瞳・チェロの小部屋観て来ました。
クラシック期待の若手だそうで、実際どんなもんだろというわけです。
演奏は素晴らしかったです。ほわほわとしたトークに似合わず、けっこう男前な音。
冒頭の練習曲が個人的にはお気に入りでした。
ヨーロッパ壮行コンサートということで、なんともアットホームな雰囲気。ほぼ身内の集まり的なイベントだったらしく、どうも居場所が無い(笑)。CD買いましたが、サインもいただかず引き上げてきちゃいました。ちょっと残念でしたが演奏が聴ければ充分。

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捨て猫の後日談。

20100616
先日、このブログで触れた段ボール住まいの仔猫たち三匹のその後。
結局残念ながら一匹を残し、他は遺伝病が見つかって助かりませんでした。
生き残りの三毛猫は幸い貰い手も見つかって、先日引き渡されたそうです。
H君Kさん、ご苦労様でした。3時間おきのミルクは大変だったでしょう。
泥酔しながら「私が引き取る」と電話をくれた ayumiさんも(笑)ありがとう。
きっと命を拾った三毛猫は、幸せになることでしょう。

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日本画漬け。

20100611

写真の絵画用パネルは私の作品ではありません。とあるアメリカ人作家の呼びかけに応じてコラボする作品の断片で、25人の作家(ほとんどがアメリカ人)が断片を描いて大きな1枚の画面を形成するプロジェクト。私がこれに描く事はまちがいないのだけれど、基本的には起案者である彼の作品となります。私だって気が向けば、極稀にこういうことに協力する事があります。

今日は、ホワイト・ハウスの文化担当顧問を6年半もの間任ぜられた、マコト・フジムラさんが来日してトークショーをやるというので、会いに行きました。悲劇的な社会状況にあっても美術の持つ力が有効性を持ちうることを変わらず説いていました。
会場の佐藤美術館では、岡村桂三郎さん、私、三瀬夏之介君と、特別展経験組のフルメンバーが顔を揃えました。やっぱり皆ひさしぶりにマコトさんの顔を見たかったんでしょう。神戸君ら幾人かの若くて有望な作家さん達とも知り合えました。
控え室でしばし若手作家や学生さんも交えて、日本画の根幹について意見をたたかわせる。私はもっぱら疑問を投げかける役回りでしたが、論客の三瀬君がいたせいかけっこう熱い雰囲気になり有意義でした。

その後、ZAPギャラリーでの「ガロン第1回展」のオープニングに流れる。周囲はさっきより更に若い非団体系の日本画家ばっかり。学生もちらほら。
日本画の中に洋画がひとり(笑)。
この意欲的な企画展の珍しいところは、小金沢さんという若き評論家が設立メンバーとして名を連ねているところ。カオス*ラウンジといい理論系の人間が美術館以外の空間で、企画段階から関与する展示の在り方は増える傾向にあるのかもしれません。

目黒に移動して、立島学芸員、マコトさんらと食事。奇妙な偶然もあってマコトさんもこのパネルのプロジェクトに思いがけず参加してくれる事に。

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大野一雄先生のこと。

2007ohono
私は1999年と2007年、長期にわたり大野一雄先生を取材し絵画制作をさせていただきました。
一度目の取材の際は、まだ先生が自らの足で滑らかに踊れているときでした。
当時の私は若く、何も持っていない状態。そんな無名の画家の取材依頼に、先生はきっちり応えてくれました。何故許可をくださり長時間の制作につきあっていただけたのか、いまとなっては判りませんが、人間の大きさを感じたものでした。
また、その肉体の佇まいは衝撃でした。
画集の為の2004年のフォトセッションを挟み、二度目は2006年の冬、100歳を迎え体の自由が少しずつ奪われて、静寂につつまれた介護ベッドの上での取材になりました。かすかに意識を示すような状態でもなお、その肉体にどんな「花」(大野慶人さん曰く)が残っているのかを問い続ける姿には圧倒されたものです。

目の前に置かれた静物を描くといった、保守的な写実に限界を感じていた私に、そこから越境し、多様なアプローチへ挑戦する覚悟と契機を与えてくださった、大野一雄先生のご冥福を、こころより御祈りいたします。
土方さんとともに BUTOH という日本オリジナルのジャンルを確立した希有で偉大な業績に、尊敬をこめて。

02 JUNE 2010

諏訪敦

追記
ちょうど川口市立ギャラリー・アトリアで、先生の100歳の肖像大作を展示しましたが、会期が終了し、作品が返却されたその日に亡くなられたことを知り、運命めいたものを感じざるを得ませんでした。

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